中学受験を振り返って(4)- 5年 part.1

4年間の中学受験生活を振り返る4回目です。

今回は地獄の5年です。
4年間で一番精神的にも肉体的にも大変だった1年間でした。今更本人も後悔していますが、私たちももう少しこの1年をなんとかできていれば、筑駒届いていたんじゃないかと思ってしまいます。

成績

4年最後から5年最後までのSAPIXの偏差値です。

今振り返ってみても、これだけアップダウンがあってよく受かったと思います。(笑)
新小5の1月組分けは4年間で最も偏差値が高く、新小6の1月組分けは最も低かったです。。

 

5年生

上記にあるように新5年1月組分けでかなりいい成績をとってしまったが故に、子供に慢心が生まれたのだと思います。またちょうど5年生の前半に私たちが忙しくなって、あまり勉強をみることができなくなったのもあって、半年で偏差値が20下がるという事態になりました。

何度か書いたことがありますが、我が家の子供は非常に幼く、また1を聞いて10わかるような天才肌では全く有りません。どちらかというとコツコツ努力することで結果を出していくタイプです。つまり勉強しなくなると途端に成績が落ちるというタイプです。子供自身がこのようなことを1月の成績で誤解してしまって、勉強しなくてもいけるんじゃないかと思ってしまったことが1つの原因だと思います。その時に私たちが気づいてフォローできればよかったのですが、ちょうど忙しくなり、5年生になったこともあって、自走できるんじゃないかと割とまかっせきりになってしまい、フォローできなかったのがもう1つの原因です。

成績低下後は、私たちが時間をとれなかったので、個別指導に何回か相談に行きました。行ったのは、プリバード、SS-1、受験ドクターです。
プリバードは何回か通いましたが、子供が合わないと言ったので、やめました。SS-1、受験ドクターは無料体験相談のようなものに行き、受験ドクターに3ヶ月だけお願いしました。指導は良かったと思いますが、子供が私たちと勉強したいと言ったことと私たち自身も時間が取れるようになってきたので、秋からは4年生のときと同じように、SAPIXとフォトンという形になりました。

5年生でSAPIXの分量が増えたことで、フォトンの宿題があまりきちんとこなさないようになり、それに合わせて算数の成績が下がり始めました。(結局受験まで算数は、4年のような偏差値68-70とった成績はとれるように戻ることは有りませんでした。)

 

子供が本当の意味で自走し始めたのは、6年の12月くらいだったので、手を離すタイミングを間違えるとこうも変わってしまうのかと反省しかありません。

 

夏にはさすがに本人も焦ったようで、家族会議を行い、対策を考えました。そこで、上記の個別指導と基本に立ち返ろうということになりました。SAPIXやフォトンの復習の量を少なくして、基本的な問題集をやり、どこの理解が足りていないかを確認・埋めていくということを行いました。それに伴って、成績も戻り始めました。

なんとか以前くらいの成績にもどったと喜んだのもつかの間、新6年1月の組分けでは、過去最低の偏差値を叩き出しました。このときばかりは家族全員、さすがに心が折れそうになり、本当に中学受験をやめようと話になりました。(一応内部進学で、SAPIX偏差値50くらいの学校には進学できるので)それでもやはり、たとえどんな結果になったとしても最後までやり遂げようとみんなで決めました。6年になっても、成績がかなり上下することになるのですが、撤退せずに続けられたのはこのときの決心が大きかったのだとは思います。

 

次回は5年の間の塾以外の勉強について書きます。